六呂師村(読み)ろくろしむら

日本歴史地名大系 「六呂師村」の解説

六呂師村
ろくろしむら

[現在地名]岩国市大字六呂師

大応だいおう山の南、南流する御庄みしよう川の上流に位置し、その谷間に集落が点在する。村域は南北に長く、南に高照寺こうしようじ(六四五・三メートル)がそびえる。

寛永二〇年(一六四三)に岩国庄を分割してできた村の一つで、慶安四年(一六五一)の「御領分村一紙」に村名が出る。

村名の由来は「享保増補村記」に「当村往古ハ深山ニシテ田畠モナク、木地ヲ引テ渡世セリトナリ、轆轤師ノ居住セシ故ニ村名トシ、中頃ヨリ六呂ノ二字ヲ用来レルト」とあり、また「玖珂郡志」が「里俗ニ云、平家ノ武士、此山里ニ隠レ乱ヲサケシガ、深山ニテ田畠モ無キ所故、木地ノ器ヲ引テ渡世セシヨリ、轆轤師ト云」と説くように、当地は平家の落人部落だという伝承がある。


六呂師村
ろくろしむら

[現在地名]勝山市北谷きただに北六呂師きたろくろし

滝波たきなみ川に並行する牛首うしくび道沿いの山村で、北東皮合こうご村、南西中尾なかお村。天文八年(一五三九)一〇月一八日の平泉寺賢聖院々領所々目録(平泉寺文書)に「一、壱石 無正供 院領」とあり、傍注に「北六呂師村ニ有之」と記される。七山家ななやまが一村。天正一九年(一五九一)の「三村ひゑわり」(斎藤家文書)によると、皮合・中尾の両村とともに「中尾組」を構成していた。


六呂師村
ろくろしむら

[現在地名]越前町六呂師

越前海岸南部、干飯かれい崎の東山腹急崖にあり米浦こめのうら枝郷。村名は轆轤師村の意で、美濃方面から今庄いまじよう(現南条郡今庄町)辺りを経て来た杣人が、当海岸傾斜面の袋状緩斜面に集落を営み、周囲の欅樹林を素材として木地造を業としたと伝えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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