越前町(読み)えちぜんちよう

日本歴史地名大系 「越前町」の解説

越前町
えちぜんちよう

面積:三六・六一平方キロ

西は日本海に面し、北は丹生郡越廼こしの村、東は織田おた町・宮崎みやざき村、南は南条郡河野こうの村・武生市に接する。南北一三・五キロ、東西五・一キロと細長い町で、東側は丹生山地迫り、海岸線はほとんど岩石で北部は海食崖が、南部は海岸段丘が発達している。集落はすべて海食崖下と海岸段丘崖下の狭隘な海岸線に密集する。海岸沿いに国道三〇五号が走り、町全体が越前加賀海岸国定公園に含まれる。当町は日本海に突出たかたちで対馬海流が直接ぶつかるため、沿岸漁業が早くより発達し、越前ウニ・越前ガニの産地でもある。


越前町
えちぜんまち

[現在地名]加賀市大聖寺越前町だいしようじえちぜんまち

越前から北進して大聖寺関から大聖寺町に入る北陸街道に沿った町人町で、北は馬場ばば。寛永年間(一六二四―四四)の大聖寺町家図(伊東家蔵)町名はないが三五戸ほどに屋敷割がされ、二戸を除いて屋号が記されていないので城下建設の職人・日雇層が住んでいたとも考えられる。天明六年(一七八六)の大聖寺絵図によると街道の両側に四〇戸余の町家があり、石屋・魚屋・大工・油屋のほか熊坂屋・三ッ村屋・小塩辻屋など近郷村名を屋号とする家がみられ、町の南側中央に越前屋があるほか、細呂木屋・北方屋など越前の地名を号する町家もある。関町との境に木戸があった。街道沿いの町らしく文政年間(一八一八―三〇)には当町から四三匁の茶屋運上があった(「勘定頭覚書」加賀市史料)


越前町
えちぜんまち

[現在地名]富山市越前町

旅籠はたご町の東に続き、北陸街道(巡見使道)に沿う両側町。すぐ北は富山城正門(南口)の大手先であった。本町のうちで、寛文六年(一六六六)の御調理富山絵図にみえ前田利次による町割以来の町。町名は前田利長に随行した八人衆のうち越前屋甚右衛門に由来するのであろうか。安永八年(一七七九)の本家数二五・貸家数二一で、二丁目まであった(「町方旧記抜書」前田家文書)。天保一二年(一八四一)の富山町方旧事調理によれば竈数五九、男一一〇・女一二一、橋二、用心井戸一。


越前町
えちぜんまち

[現在地名]高知市越前えちぜん町一―二丁目

小高坂こだかさ村の東南部、南北の筋に開かれた町。「土佐州郡志」は「是地昔百々越前家臣家焉故名」と記す。

山内一豊の高知城下建設の築城奉行を勤めた百々越前守安行は、高知城縄張りに際してその宿舎久万くま村の金性こんしよう院に置いたが、縄張地と金性院の往復の途に考え、当地に与力騎馬の士を置いたという(皆山集)


越前町
えちぜんちよう

2005年2月1日:丹生郡朝日町織田町・越前町・宮崎村合併
【朝日町】福井県:丹生郡
【織田町】福井県:丹生郡
【越前町】福井県:丹生郡
【宮崎村】福井県:丹生郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「越前町」の意味・わかりやすい解説

越前〔町〕
えちぜん

福井県中北部,武生盆地北西部から日本海に臨む越前海岸にまたがる町。 1946年四ヶ浦 (しかうら) 村に町制施行。 1955年城崎村と合体し旧国名をとって越前町成立。 2005年朝日町,宮崎村,織田町と合体。丹生山地が海岸まで迫り,海食による奇岩,断崖と海岸段丘が発達している。漁業が盛んで冬のカニ,夏のウニは特に有名。山間部では古くから陶土がとれ,日本六古窯の一つ越前焼が発達,旧宮崎村の小曽原には越前陶芸村がある。盆地では機業が盛ん。沿岸部は越前加賀海岸国定公園に属し,特に越前岬付近には呼鳥門,鳥糞岩といった海食崖や奇岩,奇礁が多く観光客を集めている。厨 (くりや) ,梅浦には海水浴場がある。織田には織田信長ゆかりの旧国弊小社劒神社がある。小曽原の相木家住宅は国の重要文化財。東部には朝日山古墳群があり,公園として整備されている。国道 305号線,365号線,417号線が通る。面積 153.15km2。人口 2万118(2020)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

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