日本歴史地名大系 「岩国城下」の解説
岩国城下
いわくにじようか
周防国の東端。東は瀬戸内海に臨み、三方を山に囲まれ、中央を
古代は北方の山陽道沿いに
慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦直後、徳川家康は周防・長門二国を、毛利輝元・秀就に与えたが、その上方口の押えとして吉川広家を岩国に封じた。広家は安芸国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
周防国の東端。東は瀬戸内海に臨み、三方を山に囲まれ、中央を
古代は北方の山陽道沿いに
慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦直後、徳川家康は周防・長門二国を、毛利輝元・秀就に与えたが、その上方口の押えとして吉川広家を岩国に封じた。広家は安芸国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…西郊の御庄(みしよう)地区には75年新幹線新岩国駅ができ,南郊の藤生(ふじう)・通津(つづ)地区の丘陵地は新しい住宅団地を形成。【三浦 肇】
[岩国城下]
《延喜式》に周防国の駅家として石国駅が見え,古代から山陽道の要地であった。石国庄は1237年(嘉禎3)の〈周防国石国御庄沙汰人等重申状〉(野坂家文書)に見え,1302年(乾元1)には後堀河天皇の皇女室町院暉子の御料地であった。…
※「岩国城下」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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