日本歴史地名大系 「六地蔵塔」の解説 六地蔵塔ろくじぞうとう 鹿児島県:加世田市武田村六地蔵塔[現在地名]加世田市武田旧日新(じつしん)寺門前境の上鴻巣馬場(かみぐるすばば)、加世田川に架かる六地蔵橋の左岸たもとに建立されている三重石塔。県指定史跡。島津忠良(日新)は別府(べつぷ)城に拠った薩州家島津実久を攻め、天文七年(一五三八)加世田を領有したが、討死した敵味方の戦没者供養のために同九年三月二八日に今泉(いまいずみ)寺の政誉に命じて石塔を建立させ、毎年七月一六日に戦没者の遺族や重臣たちを集めて施餓鬼供養を行った。当時の第二層の塔身には忠良の「一切の罪も消えなむ弥陀地蔵四十九の身の四十八願」という歌が刻まれていた(「加世田再撰史」加世田市立郷土資料館蔵、「加世田市史」)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by