朝日日本歴史人物事典 「六条有忠」の解説
六条有忠
生年:弘安4(1281)
鎌倉後期の公卿。父は内大臣有房。弘安9(1286)年叙爵。永仁3(1295)年侍従。左少将,右中将を経て延慶2(1309)年従三位に叙し公卿となる。以後長く散官であったが文保2(1318)年に参議に任じ,右近中将春宮権大夫を兼ねた。また位は従二位に昇った。同年皇統は持明院統から大覚寺統に代わり,後宇多法皇による院政が始まっている。有忠の父有房は法皇の側近であったから,この任官はひとえに後宇多法皇の助力によるものといえる。翌年,権中納言に昇るが,父を亡くす。喪に服した有忠は復任せずに官を辞した。嘉暦1(1326)年出家。禅林寺とも号した。
(本郷和人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報