六条有忠(読み)ろくじょう・ありただ

朝日日本歴史人物事典 「六条有忠」の解説

六条有忠

没年暦応1/延元3.12.27(1339.2.6)
生年弘安4(1281)
鎌倉後期の公卿。父は内大臣有房。弘安9(1286)年叙爵。永仁3(1295)年侍従。左少将,右中将を経て延慶2(1309)年従三位に叙し公卿となる。以後長く散官であったが文保2(1318)年に参議に任じ,右近中将春宮権大夫を兼ねた。また位は従二位に昇った。同年皇統は持明院統から大覚寺統に代わり,後宇多法皇による院政が始まっている。有忠の父有房は法皇の側近であったから,この任官はひとえに後宇多法皇の助力によるものといえる。翌年,権中納言に昇るが,父を亡くす。喪に服した有忠は復任せずに官を辞した。嘉暦1(1326)年出家禅林寺とも号した。

(本郷和人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「六条有忠」の解説

六条有忠 ろくじょう-ありただ

1281-1339* 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
弘安(こうあん)4年生まれ。六条有房の子。延慶(えんきょう)2年従三位。文保(ぶんぽ)2年参議となり,右近衛(うこんえの)中将,春宮権大夫(とうぐうのごんのだいぶ)をかねる。のち権中納言,正二位にいたる。正中(しょうちゅう)3年出家。暦応(りゃくおう)元=延元3年12月27日死去。58歳。号は禅林寺。法名は賢忠。

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