朝日日本歴史人物事典 「六条有房」の解説
六条有房
生年:建長3(1251)
鎌倉後期の公卿。父は六条家の祖の正四位下右中将通有。六条家は村上源氏久我家の支流にすぎず,昇進は難事であった。有房は大覚寺統,とりわけ後宇多上皇に仕えて家を興した。正安3(1301)年に左大弁となり,また参議に任じられた。翌年,後宇多上皇の子の後二条天皇が即位すると侍従を兼ね,嘉元1(1303)年に権中納言となりいったん官を辞した。ただ,上皇の伝奏としては活動を続けていたらしく,3年には院使として関東に下向。徳治3(1308)年に官に復して権大納言に昇るが,同年のうちに辞任。文保2(1318)年従一位。翌年病が篤くなると後宇多法皇は有房を内大臣にすすめた。3日後に出家し辞任,翌日に死去。
(本郷和人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報