日本歴史地名大系 「兼城間切」の解説
兼城間切
かにぐすくまぎり
現糸満市の北部にあたる。北は
慶長一八年(一六一三)一二月一五日に首里王府から摩文仁(親方安恒)に宛行われた知行目録(南島風土記)に「島尻金城間切」とみえる。琉球国高究帳には島尻兼城間切とあり、寛文八年(一六六八)の琉球国郷帳では兼城間切となる。絵図郷村帳に当間切に属する
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現糸満市の北部にあたる。北は
慶長一八年(一六一三)一二月一五日に首里王府から摩文仁(親方安恒)に宛行われた知行目録(南島風土記)に「島尻金城間切」とみえる。琉球国高究帳には島尻兼城間切とあり、寛文八年(一六六八)の琉球国郷帳では兼城間切となる。絵図郷村帳に当間切に属する
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