内保庄(読み)うちほのしよう

日本歴史地名大系 「内保庄」の解説

内保庄
うちほのしよう

現阿山町内保に比定される。東大寺領荘園。領家は同寺尊勝そんしよう院。玉滝たまたき杣内の北端、近江国甲賀郡に接する。文永六年(一二六九)一二月の大法師円乗重陳状案(東大寺蔵倶舎論第一巻大義抄裏文書)に「延喜八年立券也、本田者三丁余、本願主則女人也」とあり、当庄は延喜八年(九〇八)に某女人の私領として立券されたと思われる。保安四年(一一二三)九月一二日付明法博士勘状案(東大寺文書)に所引する東大寺が進めた証文のうちに紛失状として、

<資料は省略されています>

とある。この両庄は橘元実の先祖のものであったが、元実は天徳二年(九五八)一一月二八日両庄の地を平時光に売却する一方で、玉滝杣を東大寺に施入した。翌三年四月五日、東大寺に対して玉滝庄ならびに杣近辺の荒廃田の開発が許可され、翌四年二月二二日、「玉滝・内保・湯船・鞆田・山田村去年正税利稲」が免除された。また応和三年(九六三)一一月一〇日にも「開発田正税」が、同年閏一二月三日に「図外開発田拾町弐佰伍拾歩正税稲」が免除されており開発の状況がうかがわれる。天禄四年(九七三)、先に元実から平時光に売却された内保・玉滝両庄の地が尊勝そんしよう院に買得され、先の開発田と併せて、同年一〇月二日、東大寺領として立券されたと考えられる(前出保安四年「明法博士勘状案」)。そして「天延以後、以玉滝・湯船・内保等正税、免付尊勝院状 已上、領主尊勝院券文」(年未詳「伊賀国黒田庄・玉滝庄文書目録案」東大寺文書)とあるように、天延年間(九七三―九七六)に、正税が御封に便補されるようになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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