日本歴史地名大系 「内保庄」の解説
内保庄
うちほのしよう
現阿山町内保に比定される。東大寺領荘園。領家は同寺
とある。この両庄は橘元実の先祖のものであったが、元実は天徳二年(九五八)一一月二八日両庄の地を平時光に売却する一方で、玉滝杣を東大寺に施入した。翌三年四月五日、東大寺に対して玉滝庄ならびに杣近辺の荒廃田の開発が許可され、翌四年二月二二日、「玉滝・内保・湯船・鞆田・山田村去年正税利稲」が免除された。また応和三年(九六三)一一月一〇日にも「開発田正税」が、同年閏一二月三日に「図外開発田拾町弐佰伍拾歩正税稲」が免除されており開発の状況がうかがわれる。天禄四年(九七三)、先に元実から平時光に売却された内保・玉滝両庄の地が
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報