日本歴史地名大系 「内川新田村」の解説 内川新田村うちかわしんでんむら 神奈川県:横須賀市内川新田村[現在地名]横須賀市内川新田・内川一―二丁目・舟倉(ふなくら)町・池田(いけだ)町四丁目三浦半島東南部の平作(ひらさく)川下流域に位置する。平作川が久里浜(くりはま)湾に出る辺り一帯に広がる旧河口を埋立てて村がつくられた。三浦郡内の近世新田高の四分の一を占める新田村。万治三年(一六六〇)砂村新左衛門政次が「内川入海之砂原」に塩除土手を築き、寛文六年(一六六六)に新田を完成させた(山内文書)。当初の石高は三六〇石余、元禄郷帳では五四二石余となり、元禄(一六八八―一七〇四)以前に大幅な打出しをみている。延宝七年(一六七九)砂村新左衛門の子供二人の間で新田の地割について争論があり、「内川往還通り水門樋内川筋并新田場之儀者(中略)両組手切ニ而差配」するよう裁許が下された(石井文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by