内藤政広(読み)ないとう まさひろ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤政広」の解説

内藤政広 ないとう-まさひろ

1770-1787 江戸時代中期の大名
明和7年生まれ。内藤貞幹(さだよし)の次男。安永7年9歳で陸奥(むつ)湯長谷(ゆながや)藩(福島県)藩主内藤家7代となる。治世中,天明飢饉(ききん)で領内からおおくの死者がでた。天明7年9月13日死去。18歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む