内藤清次(読み)ないとう きよつぐ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤清次」の解説

内藤清次 ないとう-きよつぐ

1577-1617 織豊-江戸時代前期の武将
天正(てんしょう)5年生まれ。内藤清成(きよなり)の長男。2代将軍徳川秀忠につかえ書院番頭(ばんがしら)をつとめ,大坂冬の陣では酒井忠利らと江戸城留守をまもった。元和(げんな)2年老中となり忠利らとともにのちの3代将軍徳川家光の養育にあたった。元和3年7月1日死去。41歳。遠江(とおとうみ)(静岡県)出身通称は宗太郎。

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