内藤清成(読み)ないとうきよなり

改訂新版 世界大百科事典 「内藤清成」の意味・わかりやすい解説

内藤清成 (ないとうきよなり)
生没年:1555-1608(弘治1-慶長13)

江戸前期の関東総奉行。忠政の長男三河岡崎に生まれ,1580年(天正8)徳川秀忠の傅役(ふやく)となり,関東入国後は相州高座郡で5000石を知行した。92年(文禄1)青山忠成と関八州庶務奉行,1601年(慶長6)には関東総奉行となり,2万1000石に封ぜられる。06年1月家康の勘気をうけ蟄居(ちつきよ),11月に許された。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤清成」の解説

内藤清成 ないとう-きよなり

1555-1608 織豊-江戸時代前期の武士
弘治(こうじ)元年生まれ。徳川家康側近で,2代将軍徳川秀忠の傅(ふ)(養育係)をつとめる。慶長6年青山忠成とともに関東総奉行,江戸の町奉行となるが,11年ともに失脚した。慶長13年10月20日死去。54歳。三河(愛知県)出身本姓竹田幼名は弥三郎。

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世界大百科事典(旧版)内の内藤清成の言及

【関東総奉行】より

…1592年(文禄1)関東領国支配のため設けられた関東庶務奉行を濫觴(らんしよう)とし,1601年(慶長6)にこれを整備して成立した。奉行には青山忠成,内藤清成,本多正信を任命し,青山,内藤には与力,同心が付属した。支配領域は関東農村から江戸市中に及び,旗本,代官も規制した。…

※「内藤清成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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