日本歴史地名大系 「冠村」の解説 冠村かもりむら 福岡県:浮羽郡吉井町冠村[現在地名]吉井町鷹取(たかとり)、田主丸(たぬしまる)町鷹取竹野(たけの)郡の南東端、耳納(みのう)山地北麓に位置する。東は生葉(いくは)郡千代久(ちよひさ)村。通称山辺(やまべ)往還に沿う(上三郡絵図)。本高は五八石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高一二〇石・役高一五八石。享保一二年(一七二七)の夏物成は大麦二石一斗余・小麦一石余・菜種三斗余(「竹野郡本地夏物成帳」中村家文書)。寛政元年(一七八九)の撫斗代六斗一升、人数九四、馬九(上三郡取調手鑑)。 冠村かむりむら 広島県:東広島市冠村[現在地名]東広島市志和(しわ)町冠(かんむり)奥屋(おくや)村の東にあり、西流して関(せき)川に注ぐ冠川沿いのやや広い平地を中心とし、その南にそびえる山(四四九・一メートル)の南側にある小盆地(字入野)からさらに南に下った瀬野(せの)川までを村域とする。元和五年(一六一九)の安芸国知行帳に「かむり村」とみえ、高七四六・七二一石。その後文化八年(一八一一)に三反余、一・一八八石の新開が高入されたが、そのほかに高に入っていない田が一町余あった(明治三年「郷村高帳」広島大学蔵)。 冠村かんむりむら 大阪府:高槻市冠村[現在地名]高槻市大冠(おおかんむり)町一―三丁目・城南(じようなん)町一―四丁目・辻子(ずし)一―三丁目・土橋(どばし)町など中世の冠庄の庄域がそのまま豊臣秀吉の文禄検地で村請されたもので、天保郷帳で「冠」を冠称する野中(のなか)・中小路(なかしようじ)・辻子・西冠(にしかんむり)・土橋の五ヵ村を含む。慶長一〇年(一六〇五)の摂津国絵図では「フカサワ村・冠村・東冠・西冠」とあり、合して高二千二二六石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by