日本歴史地名大系 「野中村」の解説
野中村
のなかむら
東久留米村の南東、
野中村
のなかむら
- 大阪府:藤井寺市
- 野中村
藤井寺村の南東に位置し、
文禄三年(一五九四)石田三成の手で検地をうけた(宝暦八年「村明細帳」林家文書)。
野中村
のなかむら
阿蘇谷の北東部にあり、東は
建武三年(一三三六)三月一一日の阿蘇社領郷村注文写(阿蘇家文書)によれば、渋河兵庫助が郷沙汰人である北郷中の小郷として「一所二十町 野中郷」とみえ、先に野中郷内としてみえた
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
- 千葉県:旭市
- 野中村
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
- 静岡県:富士宮市
- 野中村
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
- 京都市:左京区
- 野中村
東は
中世は市原村とともに、壬生官務家の支配を受けたと思われる次の史料がある(「賦引付」二)。
これによれば、野中は他の二ヵ村とともに野中郷の名でよばれている。
享保一四年(一七二九)の山城国高八郡村名帳によれば、石高六〇石四斗七升。内訳は飛鳥井殿家領二〇石四斗七升、鞍馬寺領三三石、
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
- 栃木県:栃木市
- 野中村
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
- 長崎県:福江市
- 野中村
福江村の南西に位置する。西に
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
- 佐賀県:唐津市
- 野中村
東松浦半島
慶長絵図に「高二百七十七石一斗二升 大久保」とある。村高は後世の記録より遥かに高く、当時この地区の中心的な村落で周辺の村も含んでいたと推定される。
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
野中村
のなかむら
- 福井県:大野市
- 野中村
野中村
のなかむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報