出沢村(読み)すざわむら

日本歴史地名大系 「出沢村」の解説

出沢村
すざわむら

[現在地名]新城市出沢

浅木(あさぎ)村・大海(おおみ)村の北、滝川(たきがわ)村の南にあたり、寒狭(かんさ)川の右岸に沿う。本村は出沢川の上流の山間にあり、伊那街道に沿う川岸に銭亀(ぜにがめ)の集落が形成されている。また北方滝川村を流れる七久保(ななくぼ)川の上流、標高三三〇メートルの山間に七久保集落がある。寛永郷帳には「須沢村」と記す。ほかに寸沢村とも記す。近世を通じて旗本設楽家領。滝川一美氏蔵文書によると、慶応元年(一八六五)の設楽六ヵ村騒動に際しては、村内二六戸のうち村役人五軒を除いた二一戸が参加し、うち一二人は山吉田(やまよしだ)(現南設楽郡鳳来町)で、九人が金指(かなさし)(現静岡県)で取押えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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