デジタル大辞泉 「前田山英五郎」の意味・読み・例文・類語 まえだやま‐えいごろう〔まへだやまエイゴラウ〕【前田山英五郎】 [1914~1971]力士。第39代横綱。愛媛県出身。本名、萩森金松。優勝1回。引退後、年寄高砂たかさご。ハワイ巡業の実現など大相撲の国際化につとめ、初の外国人関取高見山を育てた。→第38代横綱照国 →第40代横綱東富士 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「前田山英五郎」の解説 前田山 英五郎マエダヤマ エイゴロウ 昭和期の力士(第39代横綱) 生年大正3(1914)年5月4日 没年昭和46(1971)年8月17日 出生地愛媛県西宇和郡須木村喜木(現・保内町) 本名萩森 金松 別名年寄名=高砂 浦五郎(4代目)(タカサゴ ウラゴロウ) 主な受賞名〔年〕勲四等旭日小綬章 経歴初め喜木山、佐田岬。昭和4年15歳で初土俵。12年入幕。入幕後わずか三場所で大関に昇進する。だがその後、10年間18場所の間大関の地位にあり、22年33歳で第39代横綱となった。24年引退して年寄高砂を継ぐ。協会内では外国通として知られ、ハワイ巡業などを実現した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「前田山英五郎」の解説 前田山英五郎 まえだやま-えいごろう 1914-1971 昭和時代の力士。大正3年5月4日生まれ。昭和4年初土俵。入幕わずか3場所で大関。9年半大関をつとめ,22年33歳で戦後初の横綱(39代)となる。優勝1回。高砂部屋をつぎ,ハワイ巡業の実現,外国人力士高見山の養成など大相撲の国際化につとめた。昭和46年8月17日死去。57歳。愛媛県出身。本名は萩森金松。年寄名は高砂浦五郎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「前田山英五郎」の解説 前田山 英五郎 (まえだやま えいごろう) 生年月日:1914年5月4日昭和時代の力士(第39代横綱)1971年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by