日本大百科全書(ニッポニカ) 「創画会」の意味・わかりやすい解説
創画会
そうがかい
日本画団体。1948年(昭和23)1月、在野精神を尊重し世界性に立脚する日本絵画の創造を標榜(ひょうぼう)するとの主旨のもとに、当時日展の有望な中堅作家のうち山本丘人(きゅうじん)、福田豊四郎(とよしろう)、吉岡堅二(けんじ)、橋本明治(めいじ)、加藤栄三(えいぞう)、それに院展系の高橋周桑(しゅうそう)ら東京側6名と、上村松篁(うえむらしょうこう)、奥村厚一(こういち)、向井久万(くま)ら京都側7名が参加して創画会の前身である創造美術を結成したのに始まる。同年9月第1回展を開催、その後51年に新制作派協会と合流し、新制作協会日本画部となる。同年創立会員の橋本、加藤は日展に復帰するが、その間会員となった新鋭作家が成長して層を厚くし、油絵に接近した実験的傾向の作品を続出させて画壇に新風を送った。さらに74年5月、新制作協会を離脱、日本画部会員37名全員によって創画会を創立した。毎年春秋2回の公募展を開催し、現在院展、日展と並ぶ日本画壇の一大勢力となっている。
[佐伯英里子]