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吉岡堅二 よしおか けんじ

美術人名辞典の解説

吉岡堅二

日本画家。東京生。父は日本画家吉岡華堂。野田九浦に師事する。帝展で活躍、特選となる。福田豊四郎小松均と山樹社、豊四郎・岩橋英遠らと新日本画研究会を、さらに新美術人協会を結成し日本画の革新運動を展開、大胆なフォルムの豪快な作風で画壇に新風を送り込んだ。戦後は、山本丘人上村松篁・豊四郎・高橋周桑らと創造美術を結成、常に新傾向の日本画を追求し続けた。芸術院賞受賞。東京芸大教授。平成2年(1990)歿、83才。

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百科事典マイペディアの解説

吉岡堅二【よしおかけんじ】

日本画家。東京生れ。京華商業中退。野田九浦に師事。1926年帝展に入選。1938年新日本画研究会結成,従軍画家として中国へ渡る。1940年法隆寺壁画模写に従事。
→関連項目岩橋英遠

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

吉岡堅二 よしおか-けんじ

1906-1990 昭和時代の日本画家。
明治39年10月27日生まれ。野田九浦(きゅうほ)に師事し,大正15年帝展に初入選。昭和13年新美術人協会,23年創造美術(現創画会)をおこし,日本画の革新運動を展開した。法隆寺金堂壁画模写などにも従事。東京芸大教授。46年芸術院賞。平成2年7月15日死去。83歳。東京出身。作品に「湿原」「鳥碑」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

吉岡堅二
よしおかけんじ
(1906―1990)

日本画家。東京に生まれる。1921年(大正10)野田九浦(きゅうほ)に師事し、26年第7回帝展に初入選。以後帝展に出品し、第11回展、第14回展で特選となる。38年(昭和13)新美術人協会結成に参加。41年の第4回新文展で審査員となる。第二次世界大戦後の48年(昭和23)上村松篁(うえむらしょうこう)、山本丘人(きゅうじん)らと創造美術を結成。以後新制作協会を経て、創画会(そうがかい)会員として活躍した。50年に『湿原(しつげん)』で毎日美術賞、71年に『鳥碑(ちょうひ)』で日本芸術院賞を受賞している。59年から69年まで東京芸術大学教授を務め、67年には法隆寺金堂壁画再現模写にも従事した。[二階堂充]
『河北倫明他解説『吉岡堅二画集』(1977・朝日新聞社) ▽田中穣解説『現代日本画全集11 吉岡堅二』(1982・集英社)』

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