劉銘伝(読み)りゅうめいでん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「劉銘伝」の意味・わかりやすい解説

劉銘伝
りゅうめいでん
(1836―1895)

中国、清(しん)末の軍人、官僚。字(あざな)は省三。安徽(あんき)省合肥(ごうひ)の出身。青年期には無頼の生活を送り、塩の密売を業としたという。1854年ごろから、太平天国軍に対する地主層の自衛武装集団である団練(だんれん)に加わって、しだいに頭角を現し、61年末に李鴻章(りこうしょう)が淮(わい)軍を編成すると、これに参加して江南に戦い、太平天国軍と捻(ねん)軍の鎮圧に功績をたて、勇将として名をあげた。その後、69年病気を理由に軍務を退いたが、翌年復帰し、イスラム教徒の蜂起(ほうき)を鎮圧するため一時陝西(せんせい)に派遣された。また、清仏戦争の際は巡撫(じゅんぶ)待遇で台湾防衛に従事し、フランス軍の侵略に激しく抵抗した。85年台湾省新設と同時に台湾巡撫となり、鉄道の国防的意義を重視する日ごろの持論を実行に移して、基隆(キールン)―新竹間に鉄道を敷設し、さらに軍備増強、鉱山開発、租税制度の整備など、一連の洋務事業をおこし、台湾の防衛と産業の発展に大きく貢献した。その後台湾では、日本の植民地支配の下で資本主義化が推進されるが、その基礎はすでに劉の巡撫時代に形成されたといってよい。

[伊東昭雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「劉銘伝」の意味・わかりやすい解説

劉銘伝
りゅうめいでん
Liu Ming-zhuan; Liu Ming-ch`uan

[生]道光16(1836)
[没]光緒21(1895)
中国,清末の軍人,洋務派官僚。安徽省合肥 (肥西県) の人。字は省三。号は大潜山人。両淮地方の土豪の一人で,太平天国のとき団練を組織して清軍に協力,やがて李鴻章淮軍の部将として活躍。同治3 (1864) 年直隷提督となった。光緒 11 (85) 年には台湾巡撫に抜擢されてその経営に専念,同 20年福建巡撫となった。その間,洋務事業の推進にあたり,治績をあげた。

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世界大百科事典(旧版)内の劉銘伝の言及

【台湾[省]】より

… 行政組織についていうと,台湾は初め福建省に隷属する台湾府として取りあつかわれ,台南にその官衙があった。また1875年(光緒1)には台湾府とは別に台北府が設けられ,さらに85年,福建省から分離独立させて台湾省を設け,劉銘伝を巡撫に任命した。劉銘伝は開明的な官僚で,省城を台北に定めたのち,在任7年の間に基隆・新竹間の鉄道の敷設,郵便制度の改革,土地清賦事業などを遂行した。…

※「劉銘伝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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