加納久宜(読み)カノウ ヒサヨシ

20世紀日本人名事典 「加納久宜」の解説

加納 久宜
カノウ ヒサヨシ

明治・大正期の農会指導者,子爵 帝国農会初代会長;貴院議員;鹿児島県知事。



生年
嘉永1年3月19日(1848年)

没年
大正8(1919)年3月2日

出生地
江戸・本所(現・東京都)

出身地
千葉県(本籍)

旧姓(旧名)
立花

学歴〔年〕
大学南校卒

経歴
立花種道の二男に生まれ、加納久恒養子となり、慶応3年(1867年)上総一宮藩主加納家4代目を嗣ぐ。明治維新後、一宮藩知事。大学南校に学び卒業後、明治6年文部省に出仕、新潟師範校長などを務め、14年判事に転じ、のち大審院検事となる。17年子爵となり、23〜30年、37年〜大正8年貴院議員。この間、明治27〜33年鹿児島県知事を務め、農事改良に着手し、全国農事会幹事長、帝国農会初代会長などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「加納久宜」の解説

加納久宜

没年:大正8.3.2(1919)
生年:嘉永1.3(1848)
明治期の農事改良を指導した農会育成者。江戸本所に生まれたが,慶応3(1867)年上総国(千葉県)一宮藩主加納久徴の養子となり,その後遠江守となった。明治新政府となってからは,文部省属,新潟師範学校長などを歴任し,明治14(1881)年以降は司法畑を歩み,判事検事などを勤めた。大審院検事ののち,子爵,貴族院議員となり,27年鹿児島県知事就任後は農事改良に手を染めた。各地に農会を育成すべく農会準則を公布し,全国農事会幹事長を経て,43年帝国農会初代会長に就任し,農事改良に先鞭をつけた。<参考文献>栗原百寿『人物農業団体史』,『近世日本興業偉人伝』8巻

(笠原英彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「加納久宜」の解説

加納 久宜
カノウ ヒサヨシ


肩書
貴族院議員,鹿児島県知事

生年月日
嘉永1年3月19日(1848年)

出生地
江戸・本所

経歴
慶応3年上総一宮藩主となる。維新後は、新潟師範校長、大審院検事、鹿児島県知事、貴族院議員などを歴任。

没年月日
大正8年3月2日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加納久宜」の解説

加納久宜 かのう-ひさよし

1848-1919 幕末-大正時代の大名,官僚
嘉永(かえい)元年3月19日生まれ。加納久恒(ひさつね)の養子となり,慶応3年上総(かずさ)(千葉県)一宮(いちのみや)藩主加納家4代。維新後,新潟師範校長などをつとめ,明治14年判事に転じ,大審院検事,鹿児島県知事を歴任。貴族院議員。帝国農会初代会長。大正8年3月2日死去。72歳。江戸出身。本姓は立花。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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