20世紀日本人名事典 「加藤仡夫」の解説 加藤 仡夫カトウ イサオ 明治期の志士,陸軍軍人 中国革命援助者。 生年明治11(1878)年6月6日 没年明治44(1911)年11月4日 出生地東京・下谷 出身地群馬県館林 学歴〔年〕陸士(12期)卒,陸大中退 経歴日露戦争に従軍し歩兵大尉、戦後陸大に入学。この頃から孫文、黄興らと親交があり、中国革命援助を政府に働きかけて陸大を追われ、大尉も免官となった。明治42年中国に渡り、李烈鈞に迎えられて、広東講武学堂教官、雲南体育学社総弁となる。44年武昌挙兵に呼応して革命に参加したが、功山駅で殺害された。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤仡夫」の解説 加藤仡夫 かとう-いさお 1878-1911 明治時代の中国革命運動の協力者。明治11年6月6日生まれ。陸軍大学校に在学中,孫文らとまじわり,中国の革命運動支援を政府にはたらきかけ退学となる。明治42年清(しん)(中国)にわたり,雲南体育学社の総弁(校長)に就任,革命思想を鼓吹した。武昌で蜂起した革命軍に参加したが,明治44年11月4日暗殺された。34歳。群馬県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「加藤仡夫」の解説 加藤 仡夫 (かとう いさお) 生年月日:1878年6月6日明治時代の志士;陸軍軍人。広東講務学堂教官1911年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by