李烈鈞(読み)りれつきん(その他表記)Lǐ Liè jūn

改訂新版 世界大百科事典 「李烈鈞」の意味・わかりやすい解説

李烈鈞 (りれつきん)
Lǐ Liè jūn
生没年:1882-1946

中国,民国期の軍人政治家。字は協和。江西省武寧県の人。日本の陸軍士官学校留学中に中国同盟会加盟辛亥革命のときは九江で蜂起し,江西都督に就任した。第二革命では討袁の兵を挙げたが,敗れて日本に亡命した。1915年雲南で蔡鍔さいがく)の護国軍第2軍総司令に就任,17年以降は広東軍政府参謀総長として護法戦争の指揮に当たった。25年孫文死後も,馮玉祥(ふうぎよくしよう)の国民軍総参議,蔣介石政府の江西省主席などもつとめたが,28年以後は病身で隠棲した。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「李烈鈞」の解説

李烈鈞(りれつきん)
Li Liejun

1882~1946

中国の軍人。江西省武寧県の人。辛亥(しんがい)革命で江西都督となり,第二革命を起こしたが失敗。のち孫文広東軍政府参加,孫文の死後,馮玉祥(ふうぎょくしょう)傘下に入って馮を北伐に参加させた。1931年反蒋介石(しょうかいせき)広東政府を支援した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「李烈鈞」の解説

李烈鈞 り-れつきん

1882-1946 中国の軍人,政治家。
光緒8年1月6日生まれ。日本の陸軍士官学校に留学中,中国同盟会にくわわる。帰国後,1911年の辛亥(しんがい)革命で江西都督府参謀長となる。1913年第二革命で敗れて日本に亡命。のち孫文,馮玉祥(ふう-ぎょくしょう)の軍政府に協力した。1946年2月20日死去。65歳。江西省出身。字(あざな)は協和。

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