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李烈鈞 り れつきん

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

李烈鈞 り-れつきん

1882-1946 中国の軍人,政治家。
光緒8年1月6日生まれ。日本の陸軍士官学校に留学中,中国同盟会にくわわる。帰国後,1911年の辛亥(しんがい)革命で江西都督府参謀長となる。1913年第二革命で敗れて日本に亡命。のち孫文,馮玉祥(ふう-ぎょくしょう)の軍政府に協力した。1946年2月20日死去。65歳。江西省出身。字(あざな)は協和。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

りれつきん【李烈鈞 Lǐ Liè jūn】

1882‐1946
中国,民国期の軍人,政治家。字は協和。江西省武寧県の人。日本の陸軍士官学校留学中に中国同盟会に加盟。辛亥革命のときは九江で蜂起し,江西都督に就任した。第二革命では討袁の兵を挙げたが,敗れて日本に亡命した。1915年雲南で蔡鍔(さいがく)の護国軍第2軍総司令に就任,17年以降は広東軍政府の参謀総長として護法戦争の指揮に当たった。25年孫文死後も,馮玉祥(ふうぎよくしよう)の国民軍総参議,蔣介石政府の江西省主席などもつとめたが,28年以後は病身で隠棲した。

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