(伊藤嘉章)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…瀬戸焼は鎌倉初期に宋で陶法を学んだ加藤四郎左衛門景正が窯をひらいたのが始まりといわれ,近世には尾張藩の保護を受けて発展した。一時九州産の磁器に押されて衰退したが,文化年間(1804‐18)加藤民吉が藩の命で磁器の製法を導入して盛り返した。明治時代に入り石炭窯の導入,瀬戸陶器学校の設立などにより近代化が進み,さらに第2次大戦後,重油・ガス窯が用いられるようになって食器のほかにノベルティ(装飾陶器),玩具,電気用品などが輸出用に大量生産され,全国屈指の陶磁器生産地となっている。…
…尾張藩は産業政策として永代轆轤(ろくろ)一挺の制をたて,さらに享保年間(1716‐36)には一家一人制を設けて統制を行ったが,江戸中期以降しだいに衰微に向かった。 瀬戸の磁祖と仰がれる加藤民吉(1772‐1824)が1804年(文化1)肥前に赴いて磁器の技法を学び,07年新製染付焼を瀬戸で開始するに及んで,磁器生産が急速に瀬戸・美濃一帯にひろがり,藩の保護政策を得て盛況を取り戻した。以後,幕末までに川本塐仙堂,加藤五助らの良工の手で技術改良が加えられ,また加藤春岱(しゆんたい)(1802‐77)らの名工も出た。…
… 17世紀後半には急激に発展し,伊万里染付として海外にも輸出され,また延宝~元禄期(1673‐1704)には鍋島藩窯で精巧な鍋島染付が製作された。江戸時代後期には京焼でも染付磁器が作られ,次いで瀬戸でも加藤民吉が文化年間(1804‐18),肥前磁器の法を導入して染付磁器をはじめ,急速に発展して伊万里と比肩できるほどになった。これら伊万里,瀬戸,京都の染付磁器の影響は,各地の窯業地に及び,以後染付磁器は日本人の用いる陶磁器の代表的なものとなっている。…
※「加藤民吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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