日本歴史地名大系 「加護神社」の解説 加護神社かごじんじや 宮崎県:宮崎市郡司分村加護神社[現在地名]宮崎市郡司分国富(くどみ)にある。古くは加護八幡と称した。祭神は伊東祐邑ほか七柱。祐邑は伊東祐尭の子祐国の弟で、臼杵郡日知屋(ひちや)城(現日向市)にあったが、文明一八年(一四八六)国人によって殺された。享年三七。享禄四年(一五三一)一二月一三日に都於郡(とのこおり)(現西都市)で祐邑を八幡大菩薩として祀ったが、霊魂が祟るのを止めないとして天文五年(一五三六)一一月に国富庄河南本郷(かわみなみほんごう)に移し再興、祐邑の家臣であった米良右近将監が大宮司職に補任され、社領として祐邑の所領であった郡司分(ぐじぶん)四二町が寄進された(日向記)。このとき朝廷から加護八幡の勅号を賜ったという。「日向記」には四月九日と一一月九日の年に二度祭礼が行われたとあり、神詫の歌として「吹返ス嵐ノ風ノツヨケレハ家ニハヲシキ曾我ノ祐邑」を載せる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報