筑紫日記(読み)つくしにつき

日本歴史地名大系 「筑紫日記」の解説

筑紫日記
つくしにつき

六冊 高山彦九郎

原本 長野県矢島家

解説 上野国の勤皇家で、寛政三奇人一人としても知られる高山彦九郎が著した九州巡遊日記。寛政四年正月を熊本に迎えた記事に始まり、途中約八ヵ月分の欠落を挟んで翌五年六月までを記す。この間、彼は四年三月五日に肥薩国境を越え、出水の野間関に留められたのち六月初旬に日向国都城から同国飫肥領に出るまで鹿児島藩内各地を精力的に巡遊した。約五〇日の間に北薩から川内・伊集院を経て鹿児島城下に至り、次いで城下各地や近隣周辺を訪れたのち南薩地方を回って再び鹿児島に戻った。その後錦江湾沿いに加治木国分を経て霧島神宮に参詣した後、高千穂峰に登山し日向の鹿児島藩領を回ったが、この間、彦九郎は城下および諸郷の多くの学者・文化人や有力者と交流して親交を結ぶ傍ら、各地の代表的な神社仏閣はじめ鹿児島藩の施設および名所・旧跡なども巡り、その見聞や感想の詳細な記録とともに多くの和歌を残した。彼が巡遊した鹿児島藩郷村の状況をうかがうのに貴重な史料となっている。

活字本 高山彦九郎全集四(高山彦九郎遺稿刊行会)

筑紫日記
つくしにつき

高山彦九郎著

解説 上野国生れの勤皇家で、寛政の三奇人の一人である高山彦九郎の晩年の九州巡遊日記。寛政四年二月、彦九郎は肥後国球磨郡から米良山に入り、児湯郡内から入郷椎葉山を経て肥後国・薩摩国を巡遊し、再び日向に入り、同年八月高千穂を去っている。各地の名所旧跡・神跡を訪ね、地元人から聞かされた記録として貴重である。

活字本 「高山彦九郎全集」第四巻、「宮崎県史」神話・伝承資料(抄出)

筑紫日記
つくしにつき

高山彦九郎著

解説 寛政の三奇人の一人と称される勤皇思想の鼓吹者である著者が、寛政四年から翌五年六月自刃する直前まで、肥後・豊後・日向・薩摩を回った日記。肥後では熊本に三度にわたり長期滞在、その間各地を訪れ、見聞を記録している。

活字本 高山彦九郎全集四

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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