日本歴史地名大系 「加部安邸跡」の解説 加部安邸跡かべやすていあと 群馬県:吾妻郡吾妻町大戸村加部安邸跡[現在地名]吾妻町大戸加部安とは一加部、二佐羽、三鈴木と上州三分限に数えられた大戸(おおど)宿の加部安左衛門の通称である。信州道大戸関所跡の南側に堀があるが、この堀と街道に面して一〇万石の大名の格式をまねて築いたと伝える石垣があり、切石を組んだ井戸枠なども残る。菩提寺である大運(だいうん)寺門前の碑文などによると、加部家の先祖は平広常の子孫富沢掃部であり、永禄元年(一五五八)大戸氏を頼って来住し土着した。掃部の孫の代に加部重国が継ぎ、四代重常の代に大戸関所が設置されて関所役人となり、長男は関所役人を継ぎ、次男重則が家業を継いで安左衛門と名乗った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by