朝日日本歴史人物事典 「勝俵蔵」の解説
勝俵蔵(2代)
生年:天明1(1781)
江戸後期の歌舞伎狂言作者。通称直江重兵衛。4代目鶴屋南北の子。子役坂東鯛蔵から立役坂東鶴十郎となるが役者を廃業。深川の遊女屋直江屋の主人におさまるかたわら,父南北の片腕となり,「東海道四谷怪談」の「戸板返し」など仕掛物を工夫し,筋書の名人といわれ,父の名で合巻(絵入り草双紙)の代作者を勤めた。芝居の番付や看板の下絵の意匠に工夫を示し,竹馬の友7代目市川団十郎の「鎌輪ぬ」の染め模様を創り出し,江戸市中の流行もリードした。文政12(1829)年,父の一世一代(引退興行)のとき,父の前名勝俵蔵を襲名して立作者となるが1年たらずで他界。奇抜な趣向と複雑に絡みあった筋立てのなかに,不安定な文化文政期の男たちの哀歓をうたい,それが河竹黙阿弥に継承されて開花することになる。<参考文献>渥美清太郎「南北以後黙阿弥以前」(『早稲田文学』1927年7月号)
(古井戸秀夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報