日本歴史地名大系 の解説
勝尾寺旧境内示八天石蔵及町石
かつおじきゆうけいだいぼうじはつてんのいしくらおよびちようせき
寛喜二年(一二三〇)正月二七日の勝尾寺四至注文によれば勝尾寺の四至境界を記したあとに、「四角四天石蔵事」が記されていてすでに四天石蔵が所在したことがわかる。さらに同年二月日の右馬寮下文には「分山地於内外 埋八天於四角 永為寺領之示 以号八天之石蔵」とみえ、寺領の四至に八天を埋めて境界の示とし、「八天之石蔵」とよんだことが知られる。先に四天石蔵とあって、ここでは八天之石蔵とされていることについては、同年五月一八日の院主阿闍梨覚元等置文にみえる記載内容から、すでにあった四天石蔵の傍らに新たに石蔵を作ったためと理解される。この八天石蔵の内容・構造について、寛喜二年四月二〇日の太政官牒に「八処埋八天形像 其上畳石為壇 以号八天石蔵」とあり、八ヵ所に八天王像を埋め、その上に石積みの壇を築いたものであったことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報