勝平山(読み)かつひらやま

日本歴史地名大系 「勝平山」の解説

勝平山
かつひらやま

新屋あらや北方、第三紀層の丘陵を基盤とし、日本海と旧雄物川の間の砂丘地にある。日本海からの激しい季節風を受けて風化作用が進み、森林の乱伐も重なって崩壊し、現在の標高は四八メートル。山麓一帯は早くから開けたらしく、「勝平山は昔の館也。古は深山而大木多く有、古勝平寺と云大寺あり。今此処より移りたる也」(「久保田城下廻り古跡記」秋田市史)とある。幻の寺といわれた勝平しようへい寺は昭和三九年(一九六四)再建された。「勝平ト云フモノノ館アリトス、又新屋村大門助右衛門ノ家ハ勝平山ヨリ移ルト伝フル由、川尻村岡田五郎兵衛祖先延暦ノ頃勝平山ニ住スト伝フ」(秋田沿革史大成)ともある。

大樹があったと伝えられ、「京都三十三間堂ノ棟梁ハ小平山ヨリ出ルト銘ヲ記セリ」(黒甜瑣語)とあり、雄物川水涸れの節には折々大材の埋れ木が現出した(羽陰温故誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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