勝木村(読み)かつぎむら

日本歴史地名大系 「勝木村」の解説

勝木村
かつぎむら

[現在地名]安佐北区可部かべ町勝木

大毛寺おおもじ村の西に位置し、北は綾谷あやがたに村。東北に福王寺ふくおうじ山、西に水越みずこし(五二六メートル)、東南ににし(四七五メートル)がそびえ、山あいを太田おおた川の支流行森ゆきもり川・大毛寺川が流れ、その谷に行森・表勝木おもてかつぎの集落が開ける。可部町で西行した庄原街道が大毛寺村よりこの谷沿いに飯室いむろ村に抜ける。また水越山の南麓太田川北岸には中河内なかごうち大野おおのの集落があり、太田川を村境として対岸沼田ぬまた毛木けぎ村・後山うしろやま村・宮野みやの村に接する。大野から宮野村へは船渡しがあった。

中世には可部庄の西限の地であったと考えられる。元和五年(一六一九)の安芸国知行帳には「かつき村」として六三〇・二八石が記され、寛永一五年(一六三八)の地詰も同高。


勝木村
がつぎむら

[現在地名]山北町勝木かつぎ

立島たてしま(現勝木川)河口右岸にあり、北は碁石ごいし村に接する。南方対岸は間瀬まぜ村。文禄(一五九二―九六)頃の瀬波郡絵図には「勝木村 上」とみえ、「竹林□□」「上大鳥村ヨリかつき村へ八里」とある。正保国絵図では高二〇〇石余、村上藩領に属する。のち幕府領となり幕末には米沢藩預所。日本海に面する小丘陵上に筥堅はこだて八幡宮が鎮座する。延喜二一年(九二一)筑前筥崎はこざき(現福岡市)の分霊を勧請して創建されたと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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