勝田池
かつたいけ
[現在地名]豊中町比地大
比地大の最北端、高瀬町との町境にあり、同町国市池と隣接する。はじめ平屋池とよばれた。明暦三年(一六五七)丸亀の商人平屋三左衛門が比地大村に井の口新田を開き、灌漑用として当池を築造した。寛文二年(一六六二)大旱魃のとき当池の水掛り田のみ豊作であったため、比地大村農民は新池を築くよう藩に願出た。池普請を命じられた郡奉行勝田五郎兵衛は平屋池を取込み、寛文四年工事に着手、同六年に完成。農民は五郎兵衛の功績をたたえて勝田池と名付け、比地大・笠岡・下高野の三村を水掛りとする。しかしまだ用水は十分ではなく、元禄三年(一六九〇)の旱魃では池水がかれて収穫がなかったため、翌四年増築を計画し同八年に完成した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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