勝賢(読み)しょうけん

朝日日本歴史人物事典 「勝賢」の解説

勝賢

没年:建久7.6.22(1196.7.19)
生年保延4(1138)
鎌倉前期の真言宗僧。藤原通憲(信西)の子。母は藤原兼永の娘で,後白河上皇乳母の紀伊二位朝子とみられる。醍醐寺座主実運の弟子。保元の乱(1156)によって配流されるが,許されて永暦1(1160)年に21歳で醍醐寺座主に補任される。他の候補者を退けての強引な人事は,勝賢が後白河上皇の乳母子だったからであり,以後3度にわたって座主を勤めたが,いずれも上皇の意向によった。座主在任中には三宝院の文書を整理し,鎮守清滝宮を修造するなど寺内の整備に努め,桜会(清滝会)を興隆した。勝賢の下で桜会の童舞は最盛期を迎え,醍醐寺に華やかな芸能の時代を築いた。文治1(1185)年権僧正,同3年東寺長者,建久3(1192)年には東大寺別当となり,重源の東大寺再建を支えた。仁和寺の守覚法親王とも親しく,『雨言雑秘記』などの多くの著作が両者の法の交流を物語っている。<参考文献>土谷恵「中世醍醐寺の桜会」(佐藤道子編『中世の寺院法会』)

(土谷恵)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「勝賢」の解説

勝賢 しょうけん

1138-1196 平安後期-鎌倉時代の僧。
保延(ほうえん)4年2月18日生まれ。藤原通憲(みちのり)(信西(しんぜい))の子。真言宗。平治(へいじ)元年醍醐寺(だいごじ)三宝院の実運から灌頂(かんじょう)をうけ,以後3度醍醐寺座主(ざす)となり,また東寺長者,東大寺別当をつとめた。権(ごんの)僧正。建久7年6月22日死去。59歳。京都出身。通称は侍従僧正。著作に「祈雨抄」「護摩」「伝法灌頂諸作法」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「勝賢」の解説

勝賢 (しょうけん)

生年月日:1138年2月18日
平安時代後期;鎌倉時代前期の真言宗の僧
1196年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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