日本歴史地名大系 「北又村」の解説 北又村きたまたむら 和歌山県:伊都郡九度山町北又村[現在地名]九度山町北又楊柳(ようりゆう)山(一〇〇八・五メートル)東北の山地、丹生(にう)川の支流で東流する久保(くぼ)川流域を占める広域の村。古くは北又郷とよばれ、北又・柿平(かきだいら)・久保・黒河(くろこ)の四ヵ村に分れていた。東は下宿(しもやどり)村(現橋本市)、西は東郷(ひがしごう)村。弘安八年(一二八五)九月日付の高野山金剛峯寺寺領注文(「続風土記」所収)に「北俣郷」がみえる。また天正一九年(一五九一)一〇月二一日付の豊臣秀吉朱印状(興山寺文書)に「北また」として五〇石と記されるが、同年同月の高野山寺領注文(勧学院文書)では「五拾壱石五斗四升 北また・くほ村・くろ川」とある。 北又村きたまたむら 長野県:下伊那郡下條村北又村[現在地名]下條村北又現下條村の東部、天竜川に面して位置する。「北俣」とも書く(信州伊奈郡郷村鑑)。江戸時代には元和五年(一六一九)より旗本近藤氏の所領となり、延宝九年(一六八一)以降は同氏下条分家領となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by