黒河村(読み)くろかわむら

日本歴史地名大系 「黒河村」の解説

黒河村
くろかわむら

[現在地名]小杉町黒河

太閤たいこう山の北東方に位置し、その間に黒河新村の村地が数ヵ所散在する。黒川とも記した。当地は射水郡の中心地放生津ほうじようづ(現新湊市)婦負ねい郡の中心地長沢ながさわ(現婦中町)とを結ぶ街道のほぼ中間地点に位置しており、中世の北陸道の経由地点でもあった。北陸道の後身である江戸初期の北陸街道も通っており、「越中道記」に「花木新村より黒河村迄 弐拾八町拾弐間 かちや川と申川有、幅三間歩渡り、水出候而も往還之妨ニハ不罷成候」「黒河村より三戸田町迄 三拾弐町弐拾四間 壱里山黒河村之はつれニ有、少宛坂御座候得共不及記 下条川深サ三尺幅五間橋有」と記されている。

明徳二年(一三九一)九月二八日書改の西大寺諸国末寺帳(西大寺二聖院文書)に「黒河宝薗寺」がみえ、真言律宗寺院が所在していた。西大寺の光明真言結縁過去帳には、正中二年(一三二五)二月九日没の西大寺三代長老宣瑜の代に宝薗ほうえん寺想仙房が、暦応三年(一三四〇)一〇月二日没の五代長老賢善の代に宝薗寺覚道房が、康暦元年(一三七九)六月一日没の一五代長老興泉の代に宝薗寺覚樹房がそれぞれ記載されている。現高岡市の真宗大谷派北谷専福せんぷく寺は慶順(土岐高頼)開基といい、由緒によれば北谷きただに(現八尾町)から天文元年(一五三二)に黒河村に移り、天正一七年(一五八九)守山もりやま(現高岡市)に移ったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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