北大路村
きたおおじむら
[現在地名]大津市北
大路一―三丁目・
粟津町・
国分一丁目・
光が
丘町・
園山一―三丁目
鳥居川村の西にあり、西は山城国境。地名は国分寺門前の北にあった大路に由来するといい、近世にも国分寺薬師古跡が残っていたという。江戸期を通じて膳所藩領。寛永石高帳に村名がみえ、高五九〇石余、小物成一四石余、慶安高辻帳では田四五〇石余・畑二五石余、永荒一一四石余。天保郷帳では六三〇石余。南郷村
網運上八〇貫文のうちとして銭二〇〇文、鳥運上銀一〇匁を納めていた(膳所藩明細帳)。勢多橋の維持管理に勤めていたが、国分・北大路・大萱の三村はそれを免ぜられた代りに、宝暦一一年(一七六一)より大津宿の増助郷を命ぜられている(初田文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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