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天智天皇 てんぢてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

天智天皇
てんぢてんのう

[生]推古33(625)/推古34(626)
[没]天智10(671).12.3. 近江,大津
第 38代の天皇 (在位 668~671) 。名は天命開別天皇 (あめみことひらかすわけのみこと) ,また中大兄皇子 (なかのおおえのおうじ) ,葛城皇子ともいう。舒明天皇の皇子,母は皇極 (斉明) 天皇。

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デジタル大辞泉の解説

てんじ‐てんのう〔テンヂテンワウ〕【天智天皇】

[626~671]第38代の天皇。在位668~671。舒明天皇の第2皇子。母は皇極天皇斉明天皇)。藤原鎌足の協力で蘇我氏を滅ぼし、皇太子として大化の改新を断行。斉明天皇没後、称制をとり、近江(おうみ)の大津宮に遷都ののち即位。庚午年籍(こうごねんじゃく)を作り、近江令を制定し、内政の整備に努めた。中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)。葛城皇子(かずらきのおうじ)。

てんち‐てんのう〔‐テンワウ〕【天智天皇】

てんじてんのう

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百科事典マイペディアの解説

天智天皇【てんじてんのう】

古代の天皇。名は中大兄(なかのおおえ)。舒明(じょめい)天皇の皇子。645年中臣鎌足(なかとみのかまたり)らと計って,蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)父子を滅ぼし,新政府樹立。(626-671)

天智天皇【てんちてんのう】

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

天智天皇 てんじてんのう

626-672* 飛鳥(あすか)時代,第38代天皇。在位668-672*。
推古天皇34年生まれ。舒明(じょめい)天皇の皇子。母は宝皇女(のち皇極・斉明天皇)。孝徳・斉明天皇の皇太子。蘇我(そが)氏をたおし,大化(たいか)の改新を断行。斉明天皇没後即位せず7年間政務をとり(称制),白村江での敗戦処理や防備など体制を整備する。667年近江(おうみ)の大津に都をうつし,翌年即位。わが国初の令(りょう)近江令や戸籍にあたる庚午年籍(こうごねんじゃく)をつくった。漏刻(ろうこく)(水時計)をつくり,はじめて候時(とき)を知らせた。天智天皇10年12月3日死去。46歳。墓所は山科陵(やましなのみささぎ)(京都市東山区)。別名は葛城(かずらきの)皇子,中大兄(なかのおおえの)皇子,天命開別天皇(あめみことひらかすわけのすめらみこと),近江天皇。
【格言など】秋の田の仮庵(かりほ)の庵(いほ)の苫(とま)をあらみわが衣手は露にぬれつつ(「小倉百人一首」)

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世界大百科事典 第2版の解説

てんぢてんのう【天智天皇】

626‐671(推古34‐天智10)
第38代に数えられる天皇。称制661‐668,在位668‐671。大化改新以後,律令体制成立期の政治を指導した。葛城(かつらぎ)皇子,また中大兄(なかのおおえ)皇子といった。舒明天皇の子,母は宝皇女(のちの皇極天皇)。異母兄に古人大兄(ふるひとのおおえ)皇子,同母弟に大海人(おおあま)皇子がある。天智の誕生は推古朝の末期で,海外では618年に隋が滅び,かわってより強大な唐がおこり,その勢力は朝鮮を脅かしはじめていた。

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大辞林 第三版の解説

てんじてんのう【天智天皇】

626~671) 「日本書紀」で第三八代天皇の漢風諡号しごう(在位668~671)。名は葛城かずらきの皇子。一名開別ひらかすわけの皇子とも。中大兄なかのおおえの皇子は他の「大兄」と区別するための呼び名。和風諡号は天命開別あめみことひらかすわけ。舒明天皇第二皇子。645年(大化1)中臣鎌足と図って蘇我そが氏を滅ぼし,皇太子として改新政治を主導。即位後,都を大津に移し,近江令を制定。また庚午年籍こうごねんじやくを作り,律令体制の基礎を築いた。万葉集に歌を収める。

てんちてんのう【天智天皇】

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世界大百科事典内の天智天皇の言及

【天智天皇】より

…陵は京都市山科区御陵上御廟野町にある。【直木 孝次郎】 天智天皇は歌人としては《万葉集》第1期に属す。649年妻を亡くしたとき,その悲しみを渡来系の詞人に代作させたり(《日本書紀》),近江宮廷に詩歌の雅宴を開いたりした(《懐風藻》《万葉集》)。…

【飛鳥時代】より

…馬子についで蝦夷(えみし),さらに入鹿が大臣となるが,入鹿は有力な皇位継承候補の山背大兄王(聖徳太子の子)を襲って自殺させ,権力の独占を企てる。こうした蘇我氏独裁の危機が強まるなかで,唐に留学した人たちが帰国して東アジアの新しい動向が伝えられると,豪族の世襲職制と私地私民制を廃し,天皇を中心とした中国の唐のような官僚制的中央集権国家を形成しようとする動きが政界の一部に強まり,その中核となったのが中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)であった。2人は綿密に計画を練り,蘇我石川麻呂らを引き入れて,645年,飛鳥板蓋宮で入鹿を斬殺し,蝦夷も自邸に放火して自殺し,蘇我氏は滅んだ(乙巳の変(いつしのへん))。…

【乙巳の変】より

…干支が乙巳にあたる645年(大化1),中大兄皇子(後の天智天皇),中臣鎌子(後の藤原鎌足)らが蘇我大臣家を滅ぼして新政権を樹立した政変。皇極女帝のもとで,皇位継承や政治方針に関し大臣の蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)父子と対立していた女帝の長子中大兄らは,唐の興隆により国際関係が緊張して高句麗や百済には政変が起き,643年冬には皇位継承の有力候補だった山背(やましろ)大兄皇子(王)一家が入鹿に滅ぼされると,蘇我一族の倉山田石川麻呂(くらのやまだのいしかわのまろ)らを同志として大臣家打倒を決意し,645年6月12日,皇居の正殿で石川麻呂が〈三韓の表文(ひようぶん)〉と称する外交文書を読みあげている最中に,中大兄が率先して入鹿を斬り,雇っていた暗殺者たちがこれを殺し,翌日には蝦夷も護衛兵らに逃亡されて自殺した。…

【近江神宮】より

…滋賀県大津市に鎮座。天智天皇をまつる。明治末期より大津宮を営んだ天智天皇をゆかりの地にまつろうという運動が起こり,1938年官幣大社近江神宮の創建が決定,直ちに社殿の造営が始められ,40年11月7日鎮座祭が行われた。…

【大化改新】より

…すなわち推古天皇の死後,大臣蘇我蝦夷(そがのえみし)は反対派を制圧して舒明天皇を立てたものの,舒明死後には問題が再燃し,しばらく舒明皇后の皇極天皇が立てられている間に,蝦夷の子入鹿(いるか)は643年(皇極2),聖徳太子の子で皇位継承の有力な候補だった山背大兄(やましろのおおえ)王を急襲して自殺させ,朝廷内部の緊張はいちだんと高まった。
[経過]
 舒明と皇極の間に生まれた中大兄(なかのおおえ)皇子(後の天智天皇)は,同志の中臣鎌子(なかとみのかまこ)(後の藤原鎌足)らとはかり,645年6月,宮中で入鹿を暗殺し,自邸に蝦夷を包囲して自殺させると,翌日には皇極の弟の孝徳天皇を立て,じぶんは皇太子として実権を掌握し,阿倍倉梯内麻呂(あべのくらはしのうちのまろ)を左大臣,蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ)を右大臣,中臣鎌子を内臣(ないしん),唐に留学した旻(みん)(新漢人(いまきのあやひと)旻)や高向玄理(たかむくのくろまろ)を国博士(くにはかせ)として新政権を樹立,年号を制定して大化とした(乙巳(いつし)の変)。この新しい朝廷は翌7月,唐に抵抗している高句麗には友好関係の維持を,任那の旧領を新羅から奪った百済には任那の調をも要求するなど,朝鮮諸国に対する外交方針を明らかにした。…

【天武天皇】より

…名は大海人(おおあま)皇子。舒明天皇の子,母は宝皇女(のちの皇極天皇),同母兄に中大兄皇子(天智天皇)がいる。生年は不明だが,天智より5歳年少の631年(舒明3)の生れとするのが通説。…

【大和三山】より

…《万葉集》に三山妻争いの歌がみえ,また,〈藤原宮の御井の歌〉には,藤原宮が三山の間に造営されたことが歌われている。【和田 萃】
[大和三山伝説]
 《万葉集》巻一の中大兄(なかのおおえ)皇子(天智天皇)作の〈三山歌〉に,〈香具山は 畝傍を愛(お)しと 耳成と 相争ひき……〉とよまれ,また《播磨国風土記》揖保郡上岡の里条に,〈出雲の国の阿菩(あぼ)の大神,大倭(やまと)の国の畝火,香山,耳梨,三つの山相闘ふと聞かして,此を諫め止めむと欲(おもほ)して上り来ましし時……〉との説話が記されている。三山相闘の内容は妻争いであり,中大兄の歌は〈畝傍雄々しと……〉ともよまれ,さまざまな解釈が行われているが,男山である香具山が女山の畝傍をいとしく思い,もうひとつの男山である耳成と争ったと見るのが自然であろう。…

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