日本歴史地名大系
「北寺町・中寺町・南寺町」の解説
北寺町・中寺町・南寺町
きたでらちよう・なかでらちよう・みなみでらちよう
[現在地名]伏見区
深草大亀谷〈
西寺町・
東寺町〉
伏見から山科峠を越えて山科勧修寺(現山科区)へ抜ける街道に沿う。北寺町は久宝寺町に南接し、中寺町・南寺町と南下し、南寺町は桝屋町と接す。豊臣秀吉の伏見築城当時は、多くの寺院や民家が移建されたというが、廃城後ほとんど田野と化し、また字地等の変更も行われて、建造物の所在地を示す資料はない。「豊公伏見城ノ図」も、現在地に復元するのは困難で、ほぼ当町地域にあたると推定される武家屋敷は、佐野駿河守・熊谷蔵之介・堀左衛門秀政らの屋敷が現東寺町辺り、水野石見守・野呂伊予守屋敷などが現西寺町辺りと思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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