日本歴史地名大系 「北小安村」の解説
北小安村
きたこやすむら
久保村の東に位置する。古くは南子安村と一村であったと考えられる。天正二〇年(一五九二)検地があった(「周東庄北子安之郷検地帳」北子安自治会文書)。文禄二年(一五九三)と考えられるが、北子安郷のうち高二九六石余が甲州御小人頭衆荻原領となった(八月「甲州御小人頭衆知行郷村書立」大野家文書)。同三年の上総国村高帳に村名がみえ、高三二五石。寛永二年(一六二五)の知行宛行状により当村のうち一〇石余が旗本萩原領、同八年の知行宛行状により四六石余が同久保田領となる。寛文四年(一六六四)には高岡藩領もあり(寛文朱印留)、寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高四九六石余、家数八一、幕府領と三卿の清水領、旗本の安藤・窪田(久保田)二家・中村・萩原・原の六家領。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報