北山郷(読み)きたやまごう

日本歴史地名大系 「北山郷」の解説

北山郷
きたやまごう

北山川流域、現上北山・下北山両村の地域にあった中近世の郷名。「大和志」には「北山荘」として西野にしの小瀬こせ栃本とちもと河合かわい(元禄郷帳の川合)白川しらかわ大瀬おおせ池峯原いけみねはら(同池峯)上池原かみいけはら・下池原・浦向うらむかい佐田さだ上桑原かみくわばら・下桑原寺垣内てらがいと善鬼ぜんき(元禄郷帳に記載なし)の一五ヵ村をあげている。北山とは紀州熊野方面からの呼名で、古くは地元では延徳二年(一四九〇)三月施入の滝川りゆうせん寺大乗経奥書に記された「和州吉野郡神河三村」とよんだ。のちに神河三村こうのがわさんそんが上北山組、神河四村しそんが下北山組となる。


北山郷
きたやまごう

潤井うるい川上流左岸の現北山・狩宿かりやどを含む一帯に比定される中世の郷名。富士上方ふじかみかたに含まれた。現在北山地内の重須おもす一帯は重須郷と称した。康永四年(一三四五)三月一〇日の富士直時譲状写(大宮司富士家文書)によれば、直時は「富士郡上方」のうちの「北山郷内上奴久間村田弐段」および「北山郷野知分」などを弥一丸に譲っている。上奴久間かみぬくま村は地内の字貫間ぬくまに比定される。応永二三年(一四一六)四月八日、小泉久遠こいずみくおん寺の日伝が同寺内坊地や「北山下方」の諸檀那道場などを弟子の日宣に譲っている(「日伝譲状写」興門集)。天文五年(一五三六)九月六日の今川義元判物(北山本門寺文書)に「富士北山重須郷」と記され、「北山」は範囲が拡大し重須郷をも吸収したようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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