日本歴史地名大系 「北川端町」の解説 北川端町きたかわばたちよう 青森県:弘前市弘前城下北川端町[現在地名]弘前市北川端町城の南東に位置し、南川端(みなみかわばた)町から土手(どて)町に至る、土淵(つちぶち)川沿いの道筋の町並。西は新鍛冶(しんかじ)町に接する。寛文一三年(一六七三)の弘前中惣屋敷絵図(市立弘前図書館蔵)に、新派町として屋敷割はされているが、住人はいない。延宝五年(一六七七)の弘前惣御絵図(同館蔵)では、新大工(しんだいく)町四丁目として屋敷割はあるが、いずれも無家の貼紙がある。宝暦六年(一七五六)の鍛冶町支配町屋鋪改大帳(同館蔵)には、鍛冶町川端として西側が二〇軒、東側が八軒とある。 北川端町きたかわばたちよう 奈良県:奈良市奈良町北川端町[現在地名]奈良市北川端町・多門(たもん)町中御門(なかみかど)町の西、佐保川沿いにあり、「奈良曝」には「川端町」として「町役二軒」とある。「奈良坊目拙解」には、往年田園のみで寛永年間(一六二四―四四)以降民家となったとあり、元禄二年(一六八九)の家数七、竈数一二。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by