北本所表町
きたほんじよおもてちよう
[現在地名]墨田区東駒形一―三丁目など
南本所番場町・感応寺などの北にあり、東は本所新町・肥前平戸藩松浦氏下屋敷、西は中之郷竹町と武家地、北は寄合巨勢氏屋敷や本久寺・最勝寺などの寺地に接する。もとは本所村と称していたが、のちに南本所村と北本所村に分れた。万治二年(一六五九)本所一円が武家屋敷となった際、田畑が上地となったため農業が困難となり、寛文九年(一六六九)その旨を代官伊奈半左衛門に訴え、居屋敷の分を町屋に取立てることが許され、町屋となった。元禄一〇年(一六九七)には永代売御免とされ、宝永二年(一七〇五)からは家作改が免除され、正徳三年(一七一三)町奉行と代官の両支配となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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