北条氏房(読み)ほうじょう・うじふさ

朝日日本歴史人物事典 「北条氏房」の解説

北条氏房

没年:文禄1.4.20(1592.5.31)
生年永禄8(1565)
安土桃山時代武将武蔵岩槻城(埼玉県岩槻市)城主。氏政と武田晴信(信玄)の娘の子。幼名菊王丸,通称十郎。太田氏資の跡を継ぎ源五郎を襲名していた兄の国増丸が天正10(1582)年に没したのち,岩槻城主となる。そのため一般には太田氏房ともいわれるが,太田氏は継承していないものと思われる。同18年の小田原の陣に際しては小田原に籠城して戦い,戦況不利とみると兄氏直に,徳川家康を頼って豊臣秀吉と和議するよう進言したという。降伏後,氏直に従い高野山に入るが,のち肥前唐津城主寺沢広高に預けられ,同地で死去。家運の危機にあって兄氏直をよく助けた。

(佐脇栄智)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北条氏房」の解説

北条氏房 ほうじょう-うじふさ

1565-1592 織豊時代の武将。
永禄(えいろく)8年生まれ。北条氏政(うじまさ)の子。天正(てんしょう)10年前城主で兄の太田源五郎のあと武蔵(むさし)岩付(いわつき)城(埼玉県)城主となる。18年豊臣秀吉の小田原攻めでは小田原城にたてこもってたたかった。降伏後,高野山にはいる。天正20年4月20日死去。28歳。通称は十郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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