朝日日本歴史人物事典 「北条氏房」の解説
北条氏房
生年:永禄8(1565)
安土桃山時代の武将。武蔵岩槻城(埼玉県岩槻市)城主。氏政と武田晴信(信玄)の娘の子。幼名菊王丸,通称十郎。太田氏資の跡を継ぎ源五郎を襲名していた兄の国増丸が天正10(1582)年に没したのち,岩槻城主となる。そのため一般には太田氏房ともいわれるが,太田氏は継承していないものと思われる。同18年の小田原の陣に際しては小田原に籠城して戦い,戦況不利とみると兄氏直に,徳川家康を頼って豊臣秀吉と和議するよう進言したという。降伏後,氏直に従い高野山に入るが,のち肥前唐津城主寺沢広高に預けられ,同地で死去。家運の危機にあって兄氏直をよく助けた。
(佐脇栄智)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報