北檜杖村(読み)きたひづえむら

日本歴史地名大系 「北檜杖村」の解説

北檜杖村
きたひづえむら

[現在地名]紀宝町北檜杖

鮒田ふなだ村の西南熊野川下流左岸にある。中世浅里あさり郷の内で新宮熊野速玉くまのはやたま大社の神領地であったと考えられる(紀伊続風土記)。享徳三年(一四五四)の文書(「奥熊野の城跡」所収)に「檜杖庄司元吉」とみえ、慶長検地高目録(和歌山県間藤氏蔵)に「浅利組檜杖村」と記されている。「紀伊続風土記」に「往古大峯に登るに、此所にて檜杖を出せるより其名ありといふ」とある。新宮領で浅里組に属する。もとは熊野川を挟んで右岸・左岸が一村であったが、延宝六年(一六七八)南檜杖村(現和歌山県新宮市)と当村とに分れた。宝永五年(一七〇八)新田検地が行われた(「北檜杖村新田畑御改帳」徳川林政史蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む