北沢伴助(読み)きたざわばんすけ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「北沢伴助」の意味・わかりやすい解説

北沢伴助
きたざわばんすけ
(1796―1884)

江戸末期の一揆(いっき)指導者。信濃(しなの)国(長野県)伊那(いな)郡米川村百姓末子として生まれ、兄の死で跡取りとなる。天保(てんぽう)期(1830~44)に家産を失い、中山道(なかせんどう)和田宿に移り住む。伊那南山(みなみやま)郷では領主白川藩と百姓との間に年貢をめぐる対立が続いていたが(南山一揆)、1859年(安政6)の強訴(ごうそ)の際に請われて惣代(そうだい)の一人となり活躍、勝利に導く。しかし翌60年(万延1)小前(こまえ)層の地主に対する争議を指導して捕らわれ、永牢(えいろう)刑となる。のち米川村の座敷牢に移されたが、明治維新で特赦され、89歳の長寿を得た。

深谷克己

『平沢清人著『百姓一揆の展開』(1972・校倉書房)』『深谷克己著『八右衛門・兵助・伴助』(1978・朝日新聞社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北沢伴助」の解説

北沢伴助 きたざわ-ばんすけ

1796-1884 幕末の一揆指導者。
寛政8年生まれ。信濃(しなの)伊那郡米川(よねがわ)村(長野県飯田市千代)の農民。安政6年南山(みなみやま)郷36ヵ村1616人が参加した南山一揆の総代ひとりとして年貢減免を実現させた。翌万延元年小前(こまえ)貧農層の再決起をはかって捕らえられるが,明治3年釈放された。明治17年3月22日死去。89歳。

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