北海東村(読み)きたがいとうむら

日本歴史地名大系 「北海東村」の解説

北海東村
きたがいとうむら

[現在地名]小川町北海東

東から南にかけては山林や砂(すな)川を境として東海東村・南海東村、西は八幡(はちまん)岳(日岳)の山林を境に北部田(きたべた)村・西海東村、北も山林をもって南小野(みなみおの)村および上郷(かみごう)村(現豊野村)と接する。砂川の上流・支流の谷間に沿って猫の額大の田地が散在的に開け、集落が立地している。字吹野(ふきの)・吐合(はきあい)・大野(おおの)を結ぶ南北の地域は、当村のなかでは最も開けた地域である。元亨四年(一三二四)三月四日の沙弥法喜竹崎季長寄進状(秋岡氏所蔵文書)に「ひらはろ(平原)のやしきつきのた七反三丈中」とみえ、平原(ひらばる)にあった屋敷付きの田を海東阿蘇神社に寄進している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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