日本歴史地名大系 「東海東村」の解説 東海東村ひがしがいとうむら 熊本県:下益城郡小川町東海東村[現在地名]小川町東海東海東地区のなかでは最も山間部に位置する。東から南にかけては二(ふた)ッ嶽・烏帽子(えぼし)山など四〇〇―五〇〇メートル級の連山がそびえ、東は白石野(しらいしの)村(現中央町)、南は八代郡下岳(しもだけ)村(現泉村)と山嶺を分ち合う。北は砂(すな)川上流河川の一つ舞鴫(もうしぎ)川や山林で北海東村と、西から南にかけては山林や砂川支流筒田(つつだ)川で南海東村と接する。集落や田地は砂川本支流域の谷間に散在的に開ける。村最西部の字弦巻(つるまき)は当地および北海東方面の出入口にあたり、砂川の本支流が合流する地点に近く、周囲は比較的平地に恵まれている。慶長国絵図に村名がみえる。河江手永に属し、正保三年(一六四六)宇土支藩成立後はその知行所となり、文化九年(一八一二)の宇土知行所村々略反別帳に高一千一一石二斗余、田三六町五反余・畑三一町四反三畝余、男四九四・女五四四とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by