北矢部村
きたやべむら
[現在地名]矢部村北矢部
現矢部村域の北部、矢部川右岸に立地する。同川支流の御側川・樅鶴川の谷間に御側・日出など一〇ヵ所余の集落がある。矢部川沿いに豊後別路が通り、村内に一里塚が置かれていた(在方諸覚書)。文禄四年(一五九五)一二月の上妻郡内知行方目録写(筑紫家文書)に「矢部河内村」とみえ、高二二九石余。元和七年(一六二一)御境川(矢部川)を境に矢部村が南北に分けられ(「上妻郡割定」立花家文書)、北矢部村は久留米藩有馬氏領。国境のため架橋はされず、正保四年(一六四七)の大小道之帳に横道として久留米より山内村(現八女市)・本分村(現黒木町)を経て矢部村に至る路程がみえ、また鬼塚渡・三瀬渡・柴庵渡が記される。
北矢部村
きたやべむら
[現在地名]清水市北矢部・北矢部町一―二丁目・八千代町・船越町・船越東町・船越南町・三光町・清水町・松井町・大沢町・川原町・神田町・月見町・中矢部町・庄福町
南矢部村北東にあり、東は松井新田・清水町村松村地先新田。村内を南北に久能道が通る。明応五年(一四九六)六月八日の今川氏親判物写(能勢文書)に「入江庄之内和矢部朝比奈弥次郎方」とみえ、岡部左京進に宛行われている。「和矢部」は北矢部の誤記と思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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