北高木村(読み)きたたかぎむら

日本歴史地名大系 「北高木村」の解説

北高木村
きたたかぎむら

[現在地名]砺波市高波たかなみ

東宮森ひがしみやもり村の東にあり、南は南高木村。村の成立については、古くは安養寺あんようじ(現小矢部市)への往還道に南町・北町の二町があり、往還が絶えたのちこの二町が分れて南町を南高木村、北町を北高木村とよぶようになったと伝える(貞享元年「村名由緒書上」加越能文庫)。元和五年(一六一九)の家高新帳には高木とあり、大滝組に属し役家数六。正保郷帳では北高木村で高三九七石余、田方二六町二反余・畑方三反、新田高九四石余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高五六〇石、ほかに明暦三年(一六五七)より寛文六年の新田高二石があり、免はともに四ツ一歩。


北高木村
きたたかきむら

[現在地名]大島町北高木

南高木村の北西に位置し、村の中央を東西草島くさじま(現富山市)への道が通る。おもな集落はこの道沿いにあるが、かつては古屋敷ふるやしきにあったという。正保郷帳の付箋に村名がみえ、高五三三石余、田方三四町八反余・畑方七反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高六〇〇石、免五ツ(三箇国高物成帳)。天明六年(一七八六)にも草高六〇〇石、うち寛保元年(一七四一)の手上高五升、元文五年(一七四〇)黒河新くろかわしん村用水末江歩引高五升(「高免等書上帳」折橋家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android