北鹿島村(読み)きたかじまむら

日本歴史地名大系 「北鹿島村」の解説

北鹿島村
きたかじまむら

[現在地名]天竜市二俣町鹿島ふたまたちようかじま

二俣村の南、遠州平野に入る直前に大きく蛇行する天竜川左岸、鳥羽とば山の南麓に位置する。「向鹿島」とも記される(青山氏領分絵図)川口かわぐち村・西鹿島村と合せ鹿島三ヵ村と称された。天正八年(一五八〇)二月三〇日、徳川家康は「加嶋一類」の孫尉・弥大夫に対し、先規どおり諸役を免除し、奥山よりの材木下げの際は兵粮を出すことを命じ天竜川の材木筏流しを安堵している(「徳川家康朱印状」田代文書)。同一九年九月の棟札銘(椎ヶ脇神社蔵)に「豊田郡鹿島郷」とみえる。領主変遷は二俣村と同じ。慶長一六年(一六一一)の北鹿島村畠帳写(田代家文書)が残り、松平忠頼領郷村帳には二俣村城下(のちの二俣村)の村高のほかとして、「北鹿嶋」の舟頭給高三石四斗、同舟頭屋敷分高一三石六斗とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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