医学天正記(読み)いがくてんしょうき

改訂新版 世界大百科事典 「医学天正記」の意味・わかりやすい解説

医学天正記 (いがくてんしょうき)

曲直瀬玄朔(まなせげんさく)(2代道三(どうさん))が1576年(天正4)から1606年(慶長11)にわたるみずからの診療記録を整理したもの。1607年成立。2巻。〈中風〉より〈麻疹〉に至る60の病名に分類され,患者の実名・年齢・症状,診療の日付と処方例,経過などが日記風に記載されている。本書によって,当時の診療法,治療体系が具体的な臨床記録を通じてわかるばかりでなく,玄朔の病気に対する考え方,当時の人々がどのような病気にかかっていたかも知ることができる。また,患者の中には,正親町(おおぎまち)天皇をはじめとする皇族近衛などの公卿豊臣秀吉・秀次などの武将とその家臣たちの名が見られるが,一方で町人やその僕も散見され,彼の診療が広い階層に対して行われていたことがわかる。異本として《延寿配剤記》《道三先生処剤座右》がある。《改定史籍集覧》《近世漢方医学書集成》所収
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「医学天正記」の意味・わかりやすい解説

医学天正記
いがくてんしょうき

医書。曲直瀬玄朔(まなせげんさく)(2世道三(どうさん)。1549―1631)の代表的著作。上下2巻。1607年(慶長12)刊。1576年(天正4)玄朔が28歳から58歳までの30年間にわたる診療の記録で、中風から麻疹(ましん)に至る60の病類別に、患者の実名、年齢、初診年月日が記載されており、史学の文献としても重要である。正親町(おおぎまち)、後陽成(ごようぜい)天皇はじめ、織田信長豊臣(とよとみ)秀吉・秀頼(ひでより)・秀次(ひでつぐ)、徳川家康秀忠(ひでただ)、毛利輝元(てるもと)、蒲生氏郷(がもううじさと)、加藤清正ら当代の知名人のほか、公卿(くぎょう)、女院、文人墨客、足軽や一般庶民に至る345例の貴重な治験(ちけん)集である。

矢数道明

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「医学天正記」の意味・わかりやすい解説

医学天正記
いがくてんしょうき

曲直瀬道三 (まなせどうさん) 著。医学書。2巻。寛文3 (1663) 年刊。戦国時代末期の医学臨床日記。『史籍集覧』に所収。

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